クルド人から見た、中近東と欧米諸国。 イスラム国との戦いは何だったのか?

トルコ
From the Kurdish people, Middle East and Western countries. What was the fight against the Islamic State? トルコ

2018年12月、過激派組織「イスラム国」(IS)の掃討作戦が続いていたシリアで、大きな変化が生まれました。トランプ米大統領が米軍の撤退を決めたのです。

「国を持たない最大の民族」と呼ばれるクルド人から、「米国は裏切った」との声が聞かれます。これは単に対IS共闘作戦の終了を意味するだけではなく、クルド人とトルコやイラクとの新たな戦いの可能性を示唆しています。

今回、クルド人はまた独立を果たすことが出来なかったわけですが、その歴史を紐解きなが、欧米ロシアと中近東の関係を考えます。

クルド人とは

クルド人は、現在の国境線で考えると、トルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニアにまたがる地域に住んでいる、独自の言語と文化を持った民族です。

なぜ、これほど多くの国に分断されることになったのかは後述するとして、その人口は推定で3000万人と非常に多いです。ヨーロッパ諸国をはじめ、もっと少ない人口で一つの国を持っている民族はたくさんありますが、クルド人は3000万という人口を持ちながら、自分の国を持っていません。

宗教的には多くがイスラム教スンニ派。かつては山岳地帯で牧畜、丘陵地帯や平野部では農業で生計を立てていました。ゆったりとした服に腰帯を締める民族衣装が印象的ですが、日本では埼玉県蕨市などにクルド人のコミュニティー(ワラビスタンなどと呼ばれる)があります。

クルドの略史:なぜ複数の国境線に分断されているのか

オスマン・トルコ帝国

中世のころ、広大なエリアを誇ったオスマン・トルコ帝国。クルド人のエリアの多くは、すっぽりその中に収まります。

この帝国の中で、クルド人は自治を認められていたのですが、世界的な民族主義運動の高まりを受けて、独立の機運が生まれたと言われます。

第一次世界大戦

かつて栄華を誇ったオスマン・トルコは、第一次世界大戦に敗れ、イギリス・フランスを中心とする連合国によって分割弱体化が行われます。

この時、現在も多くの火種を抱えるパレスチナ、イラク、シリアといった国々が人為的な国境線を与えられることになりました。

トルコとクルド人の関係を見ますと、終戦後、連合国とオスマントルコは「セーブル条約」を結び、トルコが帝国領土を失うのと同時に、クルド国家の樹立が盛り込まれていました

しかし、近代国家建設を目指すトルコ民族派がこのセーブル条約を批准せず、代わって締結されたのが「ローザンヌ条約」です。ここでトルコが主権を回復する代わりに、クルド国家構想が消滅したのです。

つまり、連合国側はクルド人国家独立より、トルコの帝政から共和制へと移行を優先する形となりました。その結果、クルド人はそのままトルコ、イラク、イラン、シリアに分断される形で居住することになったのです。

第二次世界大戦

第二次世界大戦後の一時期、旧ソ連の支援でイランにクルド人の共和国が出来たことがあります。

しかし、一年足らずでイラン軍に崩壊させられました。

クルド人の住んでいるエリアには、中東では貴重な水源があり、また石油の産出もあります。イランにせよトルコにせよ、帝国の時代からクルド人に対し一定の自治を認めてきたのですが、分離独立に関しては認めようとはしません。

こうして、国を持たない巨大な民族が、複数の国にまたがって不安定な状態で暮らしていくこととなりました。

対トルコ武装闘争

1978年、クルド労働者党(PKK)が結成されました。これはクルド人の独立国家樹立を目指す武装組織です。

1984年から、イラク北部に潜伏し、トルコ国内でのテロ活動など、武装闘争を展開しています。これまで、トルコでは兵士・市民合わせて3万人以上が犠牲になったと言われています。

1999年以降、一方的に停戦を発表したこともありますが、トルコは受け入れていません。

2015年7月、トルコ軍はこのPKKの掃討を掲げて空爆を開始しました。ヨーロッパ諸国はトルコによる民族弾圧だとしてこのことを非難していますが、トルコは、これが自分たちにとって最大の「テロとの戦い」であると主張しています。

イラク北部で独立のための住民投票

2017年、イラク北部の自治政府、クルディスタン地域政府(KRG)が、独立の是非を問う住民投票を「強行」しました。

「強行」と書いたのは、イラク、トルコはもとよりアメリカや国連からもブレーキがかかっていたからです。

順番に書きますと、2014年6月、イスラム国(IS)がイラク第二の都市モスルを制圧、イラク軍は敗走しました。しかし、この時、前線でISを撃退したのがクルディスタン地域政府(KRG)の軍事組織ペシュメルガだったのです。

その結果、ISによって支配される可能性のあったイラクの油田地帯、キルクーク州が、クルド人による実効支配を受けることになりました。

イラクは当然これに反発するわけですが、さらに住民投票を行い独立となれば、周辺国へも影響がでることは必至です。そこで、トルコ、イラン両国が住民投票反対に動きます。

両国はイラク政府支持を表明、国境付近で軍事演習を開始、さらにKRG財政の生命線である石油パイプラインを遮断しました。

クルド人としては、世界的に問題となっている過激派組織イスラム国(IS)を撃退したのは自分たちであることや、民主的プロセスに則った住民投票であることから、これが国際世論に支持されると考えました

しかし、事態の深刻化とこの地域の混乱を避けたい米国は、大統領特使を送って、住民投票の延期を求めます。しかし、クルド人内で住民投票への機運は高まりきっており、KRGは延期せずに投票を強行したのです。

その住民投票から三週間後、イラク軍がキルクーク州に進軍しました。クルド人は撤退し、3日ほどで、係争地全域をイラク中央政府が掌握しました。

イラク軍は米国より、「ISと戦うため」として戦車の供与を受けていました。かつてISを撃退したクルド・ペシュメルガの兵士がこの戦車によって多く戦死しましたが、国際社会は沈黙したままでした。

米軍シリア撤収

2018年、トランプ米大統領は、ISとの戦いが終結したとして、米軍をシリアから撤収することを決めました。そこに見え隠れしているのが、北大西洋条約機構(NATO)の同盟国トルコの存在です。

先述の通り、トルコはクルド労働者党(PKK)と対立しており、米国がクルド人と対ISで共闘していることを問題視してきました。

トルコは米国に対し揺さぶりをかけます。シリア国境に部隊を集結させ、クルド人勢力に対して越境攻撃を行う準備をすると共に、ロシアの最新鋭地対空ミサイル「S400」を購入する意向があることを示したのです。

トランプ大統領はトルコのエルドア大統領と電話協議を行い、アメリカ国防省がS400に代わるパトリオットミサイルのトルコ輸出を承認することになりました。トランプ大統領がシリアからの撤収宣言を発表したのはその翌日のことです。

米国はここまで、対ISの陸上戦闘をクルド勢力にさせてきたわけですが、ここで完全に袂を分かつことになったのです。

まとめ:歴史は繰り返す

クルド人には、過去3度、国を持つチャンスがありました。

一度目は、第一次世界大戦でオスマン・トルコ帝国が敗れた時です。イギリス・フランスの連合国から一度はクルド独立が約束されたもののの、トルコの共和制への移行に伴い、期待は裏切られることとなりました。

二度目は、第二次世界大戦後、旧ソ連の支援で、実際にクルド人の共和国がイラン北西部に出来た時です。しかし、ソ連の支援は続かず、イラン軍に一年足らずで崩壊させられてしまいました。

三度目は、今回のイスラム国(IS)騒動と住民投票です。イラク軍が敗走する中、米軍の支援を受けISと戦ったのはクルド人です。しかし、ISの力が弱まると、米国始め国際社会は、トルコ、イラク、イランなどとの関係を重視する方向で足並みを揃えました。

中近東という場所は、世界最大の宗教になろうとしているイスラム社会の中核に位置し、経済的にも多くの石油資源を抱えています。ここに米国・ヨーロッパ・ロシアなどの強国が接近する時、分断された民、クルド人がテーマとして持ちだされます

しかし、クルド人の保護や、その独立を支援する動きを見せて、中近東諸国に揺さぶりをかけながら、結局はクルド人を見離すという歴史が繰り返されています。

現在、クルド人側も一枚岩ではなく、トルコ人やイラク人との生活に溶け込もうとする動きと、武装闘争も辞さないという動きが混在しています。現実的には他の中近東の民族と共生していくしか無いわけですが、そのあり方をめぐって争い、結果的に多くの難民が生まれているのが現状です。

終/クルド人から見た、中近東と欧米諸国. イスラム国との戦いは何だったのか?

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