アフリカ マリの紛争、イスラム過激派の拠点化を振り返る

マリ
Looking back on the conflict in Africa Mali, the base of Muslim extremists マリ

アフリカのマリを取り上げます。思い出すのは北隣のアルジェリアで人質事件が発生し、「日揮」の日本人従業員が10人も殺害された事件です。

殺害したイスラム過激派は、マリでフランスが軍事介入したことに対する報復であると、声明を発表しました。歴史豊かな西アフリカの国、マリで、いったい何が起っていたのでしょうか。

マリの歴史、古くからあるイスラム教徒とのつながり、経済改革や民主化の動き、そしてイスラム過激派の拠点形成まで整理してみました。

マリの略史

7世紀:金の国

7世紀ごろから、ガーナ、ガオ、マリなどの国家が、ニジェール川中流域に誕生しました。これらの国家を支えたのが旧大陸最大とも言われる西アフリカの「金」です。

金があったことで、イスラム中東文明がサハラ砂漠を超えてやってきました。これとサヘル・サヴァンナの文化が交じり合うことになります。

黄金の都として知られたトンブクトゥを始め、マリには4つの世界遺産がありますが、独自の豊かな文化が形成された背景にはこんな交流がありました。

19世紀:フランスの植民地

発展したマリの人々は、西アフリカに広く活動の場を広げます。伝えたものは、綿織物、鉄製造、商業、そしてイスラム教でした。

フランスの植民地になった後も、下級の行政官や商人として散らばってゆきます。その結果、セネガルやコートジボワールには数百万人単位でマリ出身の人々が住んでいます。

現在、マリの国家予算の5分の1、あるいはそれ以上は海外からの送金だと言われています。

20世紀:社会主義路線

独立後、社会主義路線の中で、独自の文化を発掘、啓蒙していくことになります。

しかし、経済的には疲弊してゆきました。基幹産業の国営化で、生産物の買取価格を安くおさえられた農民達が、労働意欲を失っていったのです。

1980年代:経済改革、そして民主主義へ

世界銀行の構造調整プログラムを受け入れたマリは、経済の自由化が進み息を吹き返していくことになります。綿栽培でアフリカ一の地位を占めるまで復活し、農村にまで一定の富が循環することになりました。

第三共和制をしいてからは、多党制、言論の自由、選挙政治の確立など、民主化を推進していくことになります。

マリがアフリカでも珍しい「民主主義を確立した国」として評価されるようになったのは、この時代です。

21世紀:内乱とテロ

詳しくは後述しますが、2012年にトゥアレグ人とイスラム過激派がマリ北部を占領します。

その後イスラム過激派がトゥアレグ人を追い出し、さらに勢力を南へと広げ始めした。

2013年にマリ政府の要請でフランス軍が軍事介入しました。その直後、アルジェリアの天然ガス関連施設がイスラム過激派に襲撃され、日本人10人の命が奪われました。

マリの紛争

民族対立

最大民族は黒人のバンバラ人です。首都バマコを含む南部には、彼らを含め黒人の民族が多く住んでいます。

一方、北部は砂漠地帯ですが、ここにはトゥアレグ人やアラブ人といった黒人以外の民族も住んでいます。

サハラ砂漠の遊牧民であるトゥアレグ人が、黒人主導の政府に対し不満を持ち、分離独立を考えたという経緯があります。

イスラム過激派

隣国アルジェリアの内戦で、政府との和解を拒んだイスラム過激派が、マリ北部に侵入しました。ここはマリ政府の統治が十分ではなく、過激派の拠点とされたのです。

さらに、アルカイダに合流し、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」(AQIM)と改称します。彼らが、観光客を誘拐し身代金要求などを行っていたことが分かっています。リビアのカダフィ政権が崩壊してマリに武器が流入したのもこのころでした。

分離独立

2012年に首都バマコで政府軍の一部がクーデターを起こし、トゥーレ大統領が国外脱出しました。

この混乱の中、トゥアレグ人が北部の都市を支配下に置いて分離独立を宣言します。

トゥアレグ人はイスラム過激派である「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」(AQIM)とも連携し政府軍と戦ったわけですが、次第に武力で優位に立つ過激派が、トゥアレグ人を追い出し始めます。

この結果、北部全土をイスラム過激派が掌握することになり、その間貴重な聖廟などが多く破壊されることになりました。

フランス軍事介入

北部を支配するイスラム過激派が、2013年、南部へと勢力を拡張していきます。マリ政府は旧宗主国であるフランスに支援を要請しました。

フランス軍は空と陸から進軍し、マリ政府が再び北部を支配下に置きました。

アルジェリアで「日揮」の日本人従業員が殺害される

フランス軍介入直後、アルジェリア南部で天然ガス関連施設が襲撃されます。先述した「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」(AQIM)の元幹部、モフタール・ベルモフタールが指揮するイスラム過激派が、多くの外国人を人質に取りました。

声明の中で、「フランス軍のマリ介入に対する報復」であると発表します。

過激派はアルジェリア政府軍に鎮圧されますが、その中で、「日揮」の日本人従業員10人を含む外国人が殺害されました。

フランスはマリへの軍事介入について、国連安全保障理事会の決議に基づく攻撃であったとの談話を発表します。

マリのこれから

国連PKO「マリ多次元統合安定化派遣団」(MINUSMA)が展開しました。目的は平和維持と住民保護です。

マリ政府は過激派ではないトゥアレグ人と和平を結び、安定にむけて歩み始めてはいます。今、都市には大きなビルが建てられ、ブティックが軒を並べています。

しかし過激派の襲撃が終わったわけではありません。PKO部隊も襲撃され過去に50人以上が死亡しており、PKO活動の中でも最も危険なエリアの一つと言われています。

まとめ:イスラム過激派の拠点化

アフリカでは珍しく「民主主義を確立した国」といわれたマリで、なぜ紛争が終結しないのでしょうか。

いくつかポイントを挙げてみます。

  • 西アフリカは、もともと「金」の大産出エリアで、サハラ砂漠を超えてイスラム教徒との交流があり、そこがマリ都市文化の源にもなっていた。
  • 現代になり、黒人と黒人以外の間で民族対立があったが、マリ政府の統治が十分で無い場所に、イスラム過激派が侵入し拠点化し始めた。
  • イスラム過激派は、まずアルカイダ、次にイスラム国と連携しながら、現状に満足しない若者を集めている。

アフリカでは貧困から過激派に身を投じる若者が少なくありません。そんなアフリカの開発の為に尽力した日本の技術者が殺害されたことは、この上もなく痛ましいことでした。

マリは人口が約1600万人、それに対して国土は日本の3倍以上あります。マリ政府は周辺国と連合軍を作りながら、治安維持に努めていますが、全土を完全に掌握するのが難しい状態です。

多くの先進国がテロ撲滅を訴え、イスラム国などの過激派と戦っています。しかし、その戦いで勝利すれば、その戦力や武器がアフリカの統治が十分では無い場所に流れる構図になっているのです。

マリは、統治を安定させ、経済を改善し、外部から流れ込んでくるイスラム過激派に人材を取られないようにしていかねばなりません。

終/ アフリカ マリの紛争、イスラム過激派の拠点化を振り返る

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