南スーダンの独立から内戦まで。宗教、民族の対立に、石油利権が絡みます

南スーダン
From South Sudan's independence to civil war. Relations, ethnic conflicts involve oil interests 南スーダン

南スーダン共和国を取り上げます。現在も内戦と飢餓で酷い状況が続いています。

日本では自衛隊のPKO活動や日報問題で話題となりましたが、ここでは、アフリカで何が起こっているのかを、時系列で取り上げてゆきます。

宗教対立、民族対立、石油資源の利権争いなどが複雑に絡みあっていることも、整理してゆきます。

南スーダン共和国誕生の背景

スーダンはもともと、アフリカで一番大きな面積を持つ国でした。そこから、南スーダンが分離独立するわけですが、まず、その背景を追います。

なお、スーダンは産油国ですが、石油資源の8割が南スーダンにあることも念頭に置きながら、お読み下さい。

1956年:スーダン独立

スーダンは、英国とエジプトの共同統治下に置かれていました。そこから、1956年に独立します。

1983年:イスラム法導入

スーダン全土に、ヌメイリ大統領がシャリーア(イスラム法)の導入を決めました。

スーダンは、北部にイスラム教徒であるアラブ人が大勢住んでいます。一方南部には、キリスト教徒や伝統宗教を信じる黒人が住んでいます。

大統領のイスラム法導入に対し、南部の黒人が強烈に反発します。反政府武装組織「スーダン人民解放軍」(SPLA)と政府軍の間で、激しい内戦が起こりました。

非常に長い内戦の中、約200万人の犠牲者が出たと言われています。

2005年:和平合意

長い内戦の後、国連の勧告を受けて、政府と「スーダン人民解放軍」(SPLA)は、和平合意にたどりつきます。

その中で、6年後に南部独立の是非を問う住民投票が行われることが決まりました。

2011年:南スーダン共和国誕生

2011年1月、住民投票が行われ、独立派が圧倒的多数を獲得します。

2011年7月、ついに南スーダン共和国が誕生しました。

南スーダン共和国の内戦

新政府は、キール大統領とマシャール副大統領という体制でスタートします。

キール氏は、国内最大の民族、ティンカ人の出身です。「スーダン人民解放軍」(SPLA)の軍事部門を率いてきた人物で、ブッシュ元米大統領からプレゼントされた、カウボーイハットを身に着けています。

一方、マシャール氏は、二番目に大きな民族、ヌエル人です。イギリスのブラッドフォード大学で哲学博士を取得している人物で、北部スーダン中央政府にも理解者がいます。

2013年:内戦開始

キール大統領が、次期大統領選を考えるマシャール副大統領を解任します。両者の対立が表面化し、政府軍と、軍内マシャール派の間で内戦が始まります。

なお、両者の対立の背景には、南スーダン共和国の国家収入の実に90%を占める石油資源をめぐって、対立が有ったとも言われています。

しかし、この内戦が、二つの民族、ディンガ人とヌエル人の対立、襲撃、報復へと発展してしまい、泥沼化します。

2015年~:和平と内戦の繰り返し

2015年8月、キール大統領派とマシャール前副大統領派の反政府勢力が「和平協定」に署名します。翌年4月、マシャール氏が再び副大統領に就任しました。

2016年7月、首都ジュバで政府軍と反政府勢力が大規模に衝突を起こし、内戦が再燃しました。在留邦人が国外へ退避します。和平協定が事実上破綻して以降、一般住民に対して虐殺や拷問、レイプ、焼き打ちなどが頻発します。

2018年6月、キール大統領と亡命中だったマシャール前副大統領の「和平」合意の直後に、「戦闘再燃」と報道されます。

2018年8月、キール大統領とマシャール前第1副大統領、ほかの反政府勢力の代表らが、停戦後の権力分担や治安維持に関する文書に署名しました。これは破綻状態にある2015年の和平協定を「再活性化」させようというものです。しかしその内容は内戦の当事者同士が、閣僚ポストなどを分けあっているだけで、内戦再燃の危険性が縮小しているわけでは無さそうです。

惨状の凄まじさ

国連の南スーダン人権委員会は、南スーダン内戦に関する報告書を公表しています。その中で、軍幹部ら40人以上が戦争犯罪や人道に対する罪を犯したことを示す「十分な証拠がある」と指摘しています。

国連や非政府組織(NGO)などの援助関係者も100人以上が殺され、物資輸送も困難な事態になっています。

民族間の対立を背景に家畜の奪い合いが絶えません。内戦で拡散した武器は、市民同士の争いを激化させ、女性や子供が犠牲になっています。食料は生えている草のみ、命がけで薪を拾い集める姿が報告されています。

自然環境も厳しいものです。雨期の半年間は、道路網の約7割が水没します。食料や医薬品の輸送ができなくなるのです。電気や水道設備はほぼありませんので、道路網の寸断が命取りになります。

統計的には、人口の3分の1が故郷を逃れて暮しています。また、国連によると人口の3分の2が深刻な食料難に陥っています。

国連児童基金(ユニセフ)によれば、南スーダンの10人に1人の子供は5歳の誕生日を迎えられず、小学校に行ける子どもは約3割だそうです。

まとめ

南スーダン共和国の誕生と内戦について、時系列でその変化を見てまいりました。

三つの対立を考える必要があります。

  • 宗教対立:イスラム教(スーダン北部)と、キリスト教及び伝統宗教(南スーダン)
  • 民族対立:南スーダン内部のディンガ人(大統領派)とヌエル人(副大統領派)
  • 石油資源:8割が南スーダン。それを独立後、南スーダン内部で利権争い。

現状は宗教闘争というより、南スーダン共和国が石油資源に国家収入を依存しながら、大統領と副大統領で内戦と和平をくり返し、それぞれの民族が女性や子供関係なく、略奪、殺戮、レイプなどを繰り返しています。

ポイントとしては、独立からまだ時間が経っていないこともあって、南スーダンという国より、それぞれの民族への帰属意識が強い可能性があげられます。つまり国家としての統治体制を整えても、そこに権威が弱く、こじれてしまった民族感情のままに、また衝突が起こります。

次に、石油資源に国の財政を依存しきっている場合、その利権を握れなかった方が、潰れていくことになります。国内にいる二大民族が、そこを分かち合えなければ、今後も争いが続くことになります。

国連始め、多くの国が和平へ向けて糸口を探りますが、そこにも死者が出ています。もちろん、行く末の定まらない石油利権にむけて、国内外が動きます。非常に厳しい現状ではありますが、注目し続けたいと存じます。

終/南スーダンの独立から内戦まで。宗教、民族の対立に、石油利権が絡みます

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