まず、チベットと中国の歴史を、わかりやすく紐解きます。なぜチベット自治区になり、インドに亡命政府が出来たのか? チベット仏教の僧侶達がラサのポタラ宮への巡礼を禁止されたのはなぜか? 焼身自殺が続くのは? アメリカや日本の動きは?
厳しい弾圧の背後にあるものと、民族の独立・自決の可能性、ダライ・ラマの生まれ変わりである”転生”の問題、イスラム教徒であるウイグル族との関係などにも触れています。
少々長文ですので、お時間無い方は、最後の「まとめ」からお読み下さい。
チベットと中国:時系列分析
1950年:東チベットに人民解放軍が進駐
第二次世界大戦から冷戦へと続く時代、険しい山中にある国チベットも、英国・清朝・米国などの占領・干渉を受けていました。しかし、そんな中でも、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマの下、チベット族の実質的な独立性を保ってきました。
しかし、中華人民共和国成立後、1950年に中国の人民解放軍が東チベットに進駐します。
チベット政府は国連に訴えますが、事態は好転せず、翌年、チベットを中国の一部とする協定を締結させられます。
その後、チベット全土に人民解放軍が進駐しました。
1959年:チベット動乱 ⇒ ダライ・ラマ亡命
中国の進駐後、チベット仏教の僧侶たちは、たびたび分離独立のためのデモを起こしてきました。1959年3月、ついに僧侶、農民ら約2万人が蜂起しましたが、中国軍に武力鎮圧されてしまいます(チベット動乱)。
この後、ダライ・ラマはインドに亡命して亡命政府を樹立します。
そして、1965年、ついにチベットが中国の自治区とされました。
チベット自治区とは
中国には現在5つの少数民族自治区がありますが、その1つ。面積的には中国全土の約8分の1を占めます。人口の約9割がチベット族です。
しかし、歴代自治区トップはほとんど漢族が就任しています。
1988年:ダライ・ラマ中道路線へ
1960年代から、ダライ・ラマはインドの亡命政府で、中国からの独立のために活動してきました。
しかし、事態は好転せず、1988年次のような演説をフランスで行います。
「我々は民主的な自治政府を求めるが、中国が外交や防衛に責任を持つことを認める」
これは「中国からの独立」という従来の方針から「中国内での高度な自治」へと路線変更を行ったものです。
なお、この翌年、ダライ・ラマはノーベル平和賞を受賞しています。
しかし、中国の介入は止まりません。
1989年:中国が「活仏(かつぶつ)」後継に介入
チベット仏教では、輪廻転生の思想を基に、ダライ・ラマや、バンチェン・ラマらの高僧は生まれ変わると考えられています。
つまり、後継者は世襲制ではなく、後継者となる少年(転生者)を認定して、ダライ・ラマやバンチェン・ラマを引き継いでゆくのです。これまでは、どちらかが亡くなると、もう片方が転生者を認定してきました。
ところが、ここに中国政府が介入します。
1989年、チベット仏教でダライ・ラマの次に位の高いバンチェン・ラマ10世が死去しました。この時、亡命政府のダライ・ラマが認定した少年とは別の少年を中国側が認定し、それぞれが正当性を主張する事態となりました。
活仏(かつぶつ)とは
菩薩や高僧の生まれ変わり(転生)とされる存在。ダライ・ラマは、最高の活仏で観音菩薩の化身とされている。
活仏の地位は世襲ではなく、転生によって受け継がれ、政教両面で強い権力を持ってきました。
バンチェン・ラマとは
ダライ・ラマに次ぐ高位の活仏。1989年にバンチェン・ラマ10世が死去、ダライ・ラマ側と中国側がそれぞれ転生者である少年を探し出し、11世として擁立しました。
しかし、ダライ・ラマ側の11世は6歳となった1995年に行方不明になったまま現在に至ります。おそらくは中国政府の監視下にあるとみられています。
2007年:中国政府、転生を許可制に
中国政府は共産党による実質一党独裁の状態が続いていまが、法律制定においても、少数民族をコントロールするために、驚くような法律が登場します。
2007年に、転生(活仏の後継者決定)には、中国当局の許可を義務づけるという法律を施行したのです。チベット仏教高僧の生まれ変わりを決めるのに、なぜ政府の許可がいるのか、これで信教の自由といえるのか、甚だ疑問ですが、亡命中のダライ・ラマ14世の影響力を畏れる中国は、その死後を見据えて、許可がなくては後継者を選べないようにしたのです。
2008年:チベット騒乱
上記のような中国政府の支配体制に反発するチベット族が、民族差別や信仰の自由の抑圧への反対を掲げて抗議行動を開始しました。チベット自治区ラサでスタートしたデモは、周辺の四川、青海、甘粛各省のチベット族居住地域にも波及します。
その後、地方政府機関や商店などが破壊される大規模な暴動に発展し、中国政府は治安部隊を動員してこれを鎮圧しました。インドにあるチベット亡命政府は、この鎮圧で200人以上が死亡したと発表しています。
2009年~:抗議の焼身自殺が相次ぐ。150人以上に。
チベット騒乱後、中国政府の抑圧的な監視はますます強まりました。デモどころか移動も制限され、僧侶たちはチベット自治区の寺院に巡礼にいくことも出来ません。
ダライ・ラマが住んだポタラ宮には中国国旗がはためき、周辺では武装警官らが警戒にあたっています。もちろん、ダライ・ラマの写真を飾ることは厳禁とされています。
また、パスポートが発給されず、海外へ活動の場を移すことも出来ません。
チベット仏教の僧侶達に残された抗議の方法は焼身自殺でした。亡命政府によると、2009年から2017年12月までに中国政府への抗議の焼身自殺を図ったチベット族は152人に上るとのことです。
なお、2014年以降は、外部に伝えられる焼身自殺の件数は少なくなっています。これは焼身自殺がチベット族の怒りをかき立てていくことから、中国政府がチベット族への監視を強め、焼身自殺者の家族への「報復」を行っているからだと言われています。
2010年:チベット亡命政府と中国政府の公式対話が途絶える
チベット問題に関しては、亡命政府と中国政府の間で対話による解決も模索されてきました。2002年9月からダライ・ラマの特使が派遣され、話し合いの場を持ってきたのです。
亡命政府側は、チベット自治区及び周辺のチベット族居住地域で、選挙による議会選出を中心に、「高度な自治」を要求してきました。しかし、中国政府側はこれを事実上の独立だとして一切認めません。
2010年を最後に、両者の公式対話が途絶えてしましました。
2014年:ダライ・ラマ14世、後継制度の変革を提案
ダライ・ラマ14世はご高齢で、2011年に亡命政府の政治権限をセンゲ首相に移譲しています。その後も亡命政府は中道路線をたどっているのですが、問題はダライ・ラマ14世が亡くなった時のことです
先述の通り、現在、ダライ・ラマ14世の次に高位のバンチェン・ラマ11世は、中国側が認定した人物です。この人物をバンチェン・ラマだと認めていないチベット族は多いそうですが、これまでの考え方によれば、次のダライ・ラマはバンチェン・ラマ11世が認定します。そうすると、チベット仏教でもっとも高い権限を持つ二人の高僧が、どちらも親中派の人物になる可能性が高いのです。
ダライ・ラマ14世は、長き伝統を途絶えさせることになってでも、この事態を避けようとしています。
中国当局側の見解
「信教の自由」抑圧と経済発展
中国当局は、自治区成立前のチベットを「暗黒、腐朽、残酷な政教一致の制度が実施されていた」と批判しています。中国では「信教の自由」が認められているとしながら、チベット仏教の抑圧に関しては、ほぼ公然のこととなっています。
一方、中国の習近平国家主席は、チベット自治区の成立から50年を迎えるのに合わせ、その経済発展を自画自賛しています。同時に、「祖国分裂、社会の安定を破壊する行為は法により打撃を与える」と強調し、亡命政府が求める「高度な自治」を真正面から否定しています。
メルセデス・ベンツの受難
中国政府の強硬な姿勢が、海外企業にも波及したことがあります。
ドイツの自動車大手ダイムラーの傘下にある高級ブランド「メルセデス・ベンツ」の広告に、ダライ・ラマ14世の言葉が引用されたことがあります。
2018年2月、インスタグラム上に投稿されたメルセデスの広告にダライ・ラマの言葉、「あらゆる角度から状況を見れば、よりオープンになる」が英語で掲載されました。
中国人は統制によりインスタグラムへアクセスすることは出来ません。ところが、批判が拡大し、人民日報系ニュースサイトにも「中国人民に対する挑戦だ」とする論評が掲載されました。
結果、広告は間もなく削除され、中国版ツイッター「微博」にあるメルセデスの公式アカウントに「国民感情を傷つけたことに謝罪する」との声明が中国語で流れたのです。
メルセデスは、中国向けに広告を発信したわけではありません。しかしこれが謝罪へと繋がるということは、中国が世界の高級ブランドにとって最大のマーケットになりつつあることと、中国政府がこの問題に極めてナイーブになっていることが伺えます。
なぜ、中国はここまでチベットの抑圧を強めるのか
大きく二つの理由が考えられます。一つは中国が多民族国家であること、もう一つは後述しますが、インドとの国際関係が他国も交えて難しくなってきていることです。
多民族国家中国に関しては、同じ少数民族自治区である新疆ウイグル自治区に関するページでも触れていますので、ぜひお読み下さい。
参考記事:新疆ウイグル自治区で何がおこっているのか
中国は約9割が漢族によって構成されていますが、同時に56もの少数民族がいます。文化・宗教・言語にも非常に幅が広く、中国文化と漢字とかいう単純なくくりで説明出来る国ではありません。
チベット仏教を信仰するチベット族の人々から、イスラム教徒であるウイグル族との連携を模索する声も出てきており、一つの民族の動きが他へ波及することが十分に考えられます。
そこで漢族は、どちらの自治区でも政治・経済の要職を抑え、さらに中央政府の圧倒的な軍事力と経済力でこれを抑え込んでいます。しかし、信教の自由への抑圧は強まるばかりで、さらに再教育という言葉まで登場しており、緊張感は高いままです。
中国・インド国際関係
マクマホン・ライン
第二次世界大戦前、英国が、インドとチベット(中国併合前)の両方を植民地として支配していました。1914年、両地域の国境線として、英国はマクマホン・ラインを引いたわけですが、これを国境線とするインドと、国境線として認めない中国の間で、長きに渡って国境紛争があります。
ダライ・ラマ訪問
インドと中国の双方が領有権を主張しているインド北東部アルナチャルプラデシュ州にタワンという街があります。
インド亡命中のダライ・ラマが、ここのチベット仏教寺院の宗教行事に参加した時、中国は、この訪問をインドが認めたことに激しく反発しました。
中国外務省の華春瑩副報道局長は、「インド側が中国側の懸念を顧みず、ダライを中印国境の係争地域で活動させることは、中国側の利益と中印関係を甚だしく損なうものであり、断固反対する」と述べています。
中印国境の最前線
もともと、習近平氏は国家主席に就任した時、「チベット自治区は国家の安全を守る重要な砦だ」と強調していました。
チベット自治区を対インド最前線と位置づけていることは、その予算にも現れており、2016年の同自治区の治安対策予算は、2007年の5倍以上に急増しています。
海洋覇権
中国が世界一流の海洋国を目指すため、南シナ海で軍備増強を図っていることを、こちらのページで紹介しました。
参考記事:南シナ海の海洋覇権
中国はもちろん、インド洋への進出も加速しており、これにインドが警戒感を高めています。近年、日本とインドの連携強化が高まっていますが、インドは米国とも連携を強化させており、中国は不快感を表明、両国関係が悪化しています。
中国はダライ・ラマを「国家分裂主義者」として激しく非難していますが、その背後には、インドと陸・海両面でぶつかっているということ、また、日米がインドに接近しているという国際情勢があります。
まとめ
険しい山々に囲まれた国チベットも、帝国主義全盛期に他国からの干渉を受けます。その後、冷戦の時代、西側諸国と共産主義国である中華人民共和国が睨み合うこととなりました。
チベット族の最高指導者ダライ・ラマの方針は、西側諸国がイニシアティブを握る国際世論や民主主義に訴えかけることで、自分たちの独立を勝ち得ようとするものでした。
しかし、中国の徹底した抑圧と、経済影響力の国際発展のもとで、独立は遠のくばかりです。
この状況に対して、次のような主張があります。西側諸国が中国にブレーキをかけるための宣伝材料として、チベットの悲劇を殊更に取り上げているのだと。しかし、実際に抗議行動が武力鎮圧される過程で多くのチベット族が亡くなり、焼身自殺も後を絶たず、さらに信教の自由の抑圧や、パスポートの発行停止などが、中国当局によって行われています。
また、こんな主張もあります。これは中国の内政問題であって、日本人が口出しするのは内政干渉にあたり適切ではないと。しかし、大国中国の隣にあって、文化・言語・宗教などが異なるという点では、日本とチベットはそっくりです。もし、日本が中国軍に進駐され、要職を漢族に押さえられ、日本民族を抑圧する法律を次々と施行されたら、やはり我々は懸命に国際世論に訴えかけるでしょう。
中国は漢族が約9割であることと、実質共産党の一党独裁体制にあることを忘れてはなりません。信教の自由や民族の平等を求める活動は、新しい法律で、あっという間に「非合法」とされているのが現実です。
話をチベットに戻しますと、現在高齢であるダライ・ラマの転生が大きなテーマとなっています。このままでは、親中派の人物が次のダライ・ラマを名乗ることになり、チベット族がまた大きな抗議行動を起こす可能性があります。
次に、中国・インドの関係からも目が離せません。米国そして日本がインドと接近しています。そしてチベット亡命政府がインドに在る。中国としても迂闊には動けません。ただ、中国はダライ・ラマや亡命政府を「国家分裂主義者」として非難することに躊躇いは無く、大国に挟まれた少数民族の危機感は高まっています。
終/ チベット弾圧の背後にあるものは何か? 中国との歴史と、インド、米国、日本の動きを概観する


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